--.--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


2009.05.03

空がまた暗くなる

20090503045109
夜が明ける前に書き留めておこう。

初めて18の時に家を出て盛岡で下宿したのは1979年だろうか、確かNHKFMのサウンドストリートだったと思うけどRCサクセションとエンケンのスタジオライヴが放送された。エンケンは東京ワッショイの頃で、RCはロックバンド形態になった初期かな。「僕の好きな先生」くらいしか知らなかったので、なんとなく異質なロックサウンド感触が初めはぴんとこなかった。でもそれから東京から遥か離れたみちのくにも、RC旋風が少しずつ吹き初める。「雨上がりの夜空」がラジオでよくかかり、ライヴアルバム「ラプソディー」が話題にり、そしてついに盛岡市民会館大ホールにRCはやってきた。日本のロックバンドをホールで見る初めての経験。一曲目が始まる前にステージに出てきた彼等の奇抜衣装と緊張感、高揚、スモークを今でもはっきり覚えている。たぶんチャボのMCで始まったはず。

それまでロックバンドがホールツアーできるのってダウンタウンブギウギバンドとか数えるくらいしかいなかったと思う。その盛岡公演と前後して帰省した仙台でもRCとシナロケ二組でのライヴを電力ホールで見た。シナロケは「ユーメイドリーム」が話題になっていてシーナさんの声はまだ今ほど枯れてなかった。あと仙台初の野外イベント、第一回、ロックンロールオリンピックのオオトリもRCだった。じつはRCを生で見たのはその3回しか覚えてない。

上京してからはキヨシローがイギリス録音した「レーザーシャープ」の時のブロークンヘッズをバックで唄ったソロツアー、RC解散後の23ズ(ニイサンズ)、それからメンフィスに行ってオーティスのバンドとアルバム作った時の武道館や年末恒例武道館、さらには泉谷しげるのライヴにもキヨシローはよく乱入していた。でももしかしたら東京ではRCサクセション自体は見てないかもしれない、いや記憶にめっきり自信がないけれど。ただ上京して真黒毛の活動を始めてからのほうがRCのバンドの魅力と奥深さがより分かったような気がする。発売されるアルバムすべてを聞いたわけではないが、やはりRCサクセションの存在は特別だった。

キヨシローが唄うのを最後に見たのは数年前の夏の野音、用事があって遅れてしまい慌てて会場に向かう途中「トランジスターラジオ」が遠くから聴こえてきて何だか泣けてきた。あと一度だけキヨシローさんに一瞬お会いしたことがある。病気が発表されて復帰に向けている頃、こまっちゃクレズマの代官山ライヴを見に来ていた。多田葉子さんにお願いして中川五郎&真黒毛ぼっくすの「腰まで泥まみれ」CDを渡したら、タイトルを見て「お、プロテストソング!」と言って握手したくれた。その手はとても柔らかだった。

先ほど家人のメールで訃報を知りとても残念。私が偉そうに言うことではないが、前人未到のあのボーカルはおそらく永遠不滅だろう。ありがとう、ガッタ、キヨシロー!
スポンサーサイト


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。