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2009.08.11

盛岡回想~スプリングサンバ~

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7月の盛岡ツアーは当初5、6人で行く予定だったが、紆余曲折あり最終的には私と娘とサックス鈴木君の三人になってしまった。なによりも交通費が参加者の自己負担なのでとても無理は言える状況ではないのである。そこで急遽、盛岡の学生時代に真黒毛のギターだった北田君に盛岡メンバーの召集を相談する、しかも本番まであと一週間くらいしかなかった。

まずは去年参加経験のあるサックス千葉君は順当に決まる。ドラムスは私が学生の頃はチベットという渋いブルースバンドをやっていた山岸君。してベースは難航した。何人もの知り合いに連絡したが、私の盛岡時代の知人友人でいまだに楽器を演奏している人は稀なのである。そのうちにだんだん日が迫り、多忙のため一度は断られた大学時代のサークルの先輩である藤村さんに何とかベースを引き受けてもらうことになった。さらには千葉君が知り合いのトランペット村井君を誘ってくれて、北田君の娘さんの高校一年菜摘さんもコーラスに加わり、東京組を加えて総勢9人の盛岡真黒毛が何とか決定する。

藤村さんが前日は別のライブがあるとのことで、10~14時で盛岡練習を敢行。盛岡駅に着いたらタクシーでスタジオ直行。広々としたスタジオは何と一時間たったの千円。予め音源を渡しておいたものの、真黒毛はコード進行はほぼスリーコードで一緒だけど、曲調がいろいろありリズム隊は大変そうだった。相変わらず偉そうに仕切る私を大学時代の大先輩、ベース藤村さんはニコニコ笑いながら見守る。

私が18で大学のフォーク実験室というサークルに入部した時、藤村さんは部長だった。今でこそ二歳の違いは同年代だが当時の部長は大人に見えた。ベースも上手かった。まあ雲の上とは言わないまでも別世界でしたねえ。当時は何故かフュージョンブームで、渡辺香津美やカシオペア、高中正義などが人気があり、ベースチョッパーとギターのライトハンド奏法が花形だった。私が泉谷しげるなどを唄ってたりするのは時代遅れて的な風潮でしたねえ。普通の地味なポップスみたいな曲にも、チョッパーで間奏はライトハンドなんかでねえ、笑えました今思えば、、

そう当時、藤村さんのやっていたバンドは「スプリングサンバ」。バンド名は確か大場久美子の曲名からとっていなはず。大場久美子は二代目コメットさんで当時大人気、唄はもう素晴らしく下手だったけどデビュー曲の「エトセトラ」だけは好きだったなあ。

回想は続くかも
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